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「GYPSYism(ジプシーイズム)~Free Working Life」

をコンセプトに

「DATSUデザ~脱webデザイナー宣言!!」
webデザイナーに頼らず、「低コスト」をテーマに、自分の力でサイト・デザインを構築・運営するスキルを身に付けよう!!

「断捨離WORK~仕事・スキルをデジタル化し商品にする」
自分の天職を見つけ出し、デジタル商品化して販売するオンラインビジネスで多くの収益の柱をインターネット上で構築、資産化するスキルを身に着けよう!!

と言う2っのテーマで、

多くの人達が放浪民族のような何時でも何処でも、自由に放浪旅をして自由に仕事が出来るGYPSYism(放浪主義)なFree Working Lifeをご提案しています。

 

 

代表プロフィール


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はじめまして。EchoRise代表 舛本です。
まずは、僕の生きてきた軌跡をご紹介します。

僕は、1966年福岡県北九州市の小倉で生まれ
5歳までそこで過ごしました。

その後、山口県宇部市に移り住み
小学時代は、アパートのベランダから下の
おっさん目掛けて小便かけたりイタズラし放題の
わんぱく坊主でした。

が・・・どこで転機が訪れたのか中学時代は、
陸上部キャプテン、高校では何故か応援団長と、常に人の中心にいて目立つ子供だったと思います。

その後、無事高校を卒業し社会に出て紆余曲折有りましたが27歳の時に
「街のちっちゃな美術館」と言う小さなガラス工房を開業しました。

最初の頃は、建築内装装飾品中心に展開していましたが、なかなか受注出来ず、
戦略を切り替え、個人向け贈答品を展開し頻繁に個展を開く事で、人目に触れ少しづつ注文が取れ始めました。

この展開が功を称したのか、その後、引き出物などの婚礼関係、お祝い物、
なぜか後から付いて来るように建築関係と順調に受注を伸ばしイベント物としては
主婦と子供向けのガラス&木工教室なども開催しました。

この頃タイミングよく行われた山口県の万博きらら博での木工教室や、夏休みのガラス教室等は、親子に大好評でした。

すると、それが話題となったのか地元TV局に取材を受け、僕の作品が某番組スタジオで飾り物として
採用されるまでになりました。

その後、ある人との出会いで大きく飛躍し、元ダイエーホークスの王監督にお祝いする初~V3優勝記念品、
元秋山監督に渡す2000本安打記念ガラスモニュメント、城島選手へのプレゼントなど、
僕の作品が有名選手の手に渡り、気づけばダイエーホークス公認で商品開発するまでになりました。

この時代が僕が生涯で唯一「先生」と呼ばれた時代です(笑)

しかし、世の中そんなに上手く行く物では有りません。
我がガラス工房にも、時期遅れでバブル崩壊の波が押し寄せてしまいます。

そして、相次ぐ単価の暴落。

最初は建築関係に一気にそのしわ寄せが来ました。
所詮、うちの商品はパーテーションや扉のガラス装飾、建物にオプション的に付く物は一番最初に単価を絞られます。

これに加えて、安室奈美恵のデキ婚で流行ってしまった地味婚、これをきっかけに、
世の中が結婚式にお金を掛けない風潮が生まれ婚礼関係の単価も追い打ちを掛けるように大暴落。

僕は、ここで経営判断に大きなミスを犯します。
それは、「安い単価でも請けよう。0よりまし」

僕の仕事は、手作りです。1日の生産数にも限界があります。

当時は、従業員も臨時パートを含めて4人雇い、僕は、社長として毎日寝ずに働き当時の睡眠時間は
1日2~3時間でした。時には3日間寝なかった時もあります。

しかし、それでも回りませんでした。

そんな忙しい僕を見て周りの人は「お前、儲かってるな~」でも、内情は火の車です。

働けど働けど儲からない。いや逆に赤字になる・・・

当時の僕の口癖は、「これならセブンイレブンでバイトした方がまだマシや」
セブンの時給どころか、給料事態全く取れない状況です。

この時、僕には既に家族が有りました。

だから、余計にプレッシャーが掛かり
「どうする?このままだと借金が増えるだけだぞ」
「月末支払いが出来ないぞ」
「家族共倒れになるぞ」

毎日、頭に浮かぶのはこんな不安ばかりです。

当時、僕の身近には同じ経営苦で楽になった人達が居ました。
自ら現世を捨てた人、家族を置いて夜逃げした人・・・

僕は、この人達みたいには絶対に逃げないと批判していましたが、いざ自分が究極に追い込まれると
「逃げたい・・・楽になりたい・・・」と無意識のうちにマイナスな気持ちが過るのです。

でも、そんな気持ちを払拭させてくれたのは、妻と子供の笑顔でした。「こいつらだけは守らねば!!」

それから、僕の決断は早かったです。
「もう、辞めよう」思い立ったが吉日、次の日の朝パートに、「すまん。この仕事納品したら、もう辞めるから・・・」

廃業・・・世間的には凄く恥ずかしい事です。しかし、僕の気分は不思議とスッキリしていました。
多分、「家族だけは絶対守る」と言う大義名分が、自分のプライド以上に大きく僕の心に生まれたからでしょう。

こうして、僕の10年間のガラス工房の先生時代は幕を閉じました。
家も手放し、債務処理は大変でしたが、今でも妻と子供と家族である事に幸せを感じています。

そして、最終日にパートさんが流してくれた涙は今でも忘れません。

その後、僕は生活を建て直すために家族と別居しました。
確か、息子が3歳…4歳になる1週間前の頃だったと思います。
妻の両親に頭を下げ「必ず迎えに来ます。預かってください」とお願いをしました。

この時に黙って迎え入れてくれた妻の両親が有るからこそ、今の家族が存在しているのだと思っています。

それから、僕は知人が住んでた安い一軒家に一人移り住みます。

そして、勤め先が決まり、運良く守れたガラス制作機材で材料が有る間だけ、
時々ガラス受注もしながら、一人借金返済生活に挑みます。

お金の管理は全て妻に任せ1日500円、タバコ代と缶コーヒー代と弁当を妻の職場の車に取りに行くというサイクルで
なるべくお金を使わないで生活を建て直す為だけの生活でした。

この頃、妻や子供とは毎日電話で話し一週間に一度、週末に会うのを楽しみに日々の寂しさを紛らわしていたと思います。

それから、仕事も順調にノルマをこなし、短期間で一気に給料も上げてもらえ、
約3年、借金完済、息子が小学校入学のタイミングで家族を迎え入れ当たり前の生活を取り戻すことが出来ました。

その後、紆余曲折有りながら僕の転機となる転職をします。

転職の理由は、社長と喧嘩した。でしたが・・・(笑)
それなりに売上げを上げてただけに引けなかったです(笑)

さて、次なる転職が、僕に再度起業意欲を沸き上がらせる事になる印刷会社への転職です。

僕は、この会社に新規開拓担当として就職しました。
しかし、役所関係を中心に相次ぐ単価の暴落時代は印刷業界にとても厳しい時代でした。

僕は、その中で役所・大手企業を中心に営業を掛けておりました。
そして、小さい会社ならではの小回りが利くと言う事を売りに受注単価をギリギリまで下げまくり、
入札で大手に対抗、やり過ぎて一時は業界の嫌われ者になりました(笑)

そんな時に社長からの一言「何かうちの会社独自の物を作りたい」
この意向を受け、僕が一人編集長として病院設置型無料配布情報誌「健康人」を起ち上げました。

一人で内容を企画し社長に承認を貰い、一人で取材し、一人で原稿を書き、一人で広告を取り、
紙面のレイアウトまで考え、最終的にオペレーターに指示をする。
その隙間時間に、一人で情報誌の設置場所(病院)を探す。

全てが手探りのスタートです。中でも特に苦労したのは、広告受注と設置場所確保です。

広告受注では、保守的な地元を裂け、福岡県の大手サプリ会社んど、県外まで営業を掛けました。
設置場所は、お堅い医学会、まず頭を押さえろと医師会に許可を貰いに挨拶にも行きました。

その甲斐有ってか、雑誌も創刊でき少しづつ知名度を増して行きました。

しかし、やはり最後まで苦労したのは広告受注です。
それでも、まだまだ知名度の足りない情報誌では、なかなか定期契約を取ることが出来ないのです。

そんな時に僕の運命を変えた出会いがアメブロです。
ネット検索で営業情報を集めている時に偶然知りました。

この時初めてアメブロが集客に強いと知り、僕は、すぐにアメブロで「健康人編集長ブログ」を建ち上げました。
そして、情報誌のPR・集客に取り掛かります。

健康管理のこと、取材のエピソード、健康な食事の話し、まずは、毎日、記事を投稿しブログ内容を充実させました。
そして、目ぼしい健康食品会社ブログへのアプローチ開始。
すると、なんと短期間の間に大阪・福岡などのサプリ会社と簡単に広告契約をする事ができたのです。

僕は、この経験に衝撃を受けました。
あれだけ苦労していた広告営業だったのにこんなに意図も簡単に受注する事が出来るとは・・・

その後、社長の鶴の一声で「健康人」は廃刊します。

かなり、厳しい状況だった印刷会社だったので社長も悩んでの決断でしょう。(今は再起してます)
その後、僕はこれを機会にネットの世界へ飛び込みます。

ある尊敬する師を迎えて、ネットのデザイン業界へ・・・

印刷会社を止めた僕は、まずインターネットビジネスの世界にどんな物が有るのか調べてみました。
アフィリエイト・物販・情報販売等・・・でも、僕にとってはどれも馴染みがなくどうしたもんじゃろの~と悩んでおりました。

そこで、まず試したのが自己アフィリです。
勿論、自己アフィリですから数万円の収益を得る事が簡単に出来ました。
しかし、それで食える訳では有りません。ただ、アフィリエイトとは何たるかを知る為だけの行動です。

その後、いろいろ調べた中で何種類か教材を買い込んで試してみましたが・・・結果が出ず・・・
それでも、諦める気のない僕は、自分の向き・不向き、自分に出来ること・出来ないことを分析しました。

その中で、当たり前の事ですが、それまで経験のあるガラス工房・印刷業界の中に自分のスキルで商品に
出来る物はないかと考えました。

その結果、やはり自分にはデザインしかないなぁ~と・・・しかし、
僕は当時はホームページビルダーでホームページを作る程度しかwebの知識は有りません。

そんな時にタイミング良く出会ったのがクリエイティブビジネスアカデミー、あの有名な小西玲太朗氏が
Free Agent styleの中で主催したデザイン塾です。

この塾ではネット上で素人でもデザイン受注が出来る様々な仕組みづくりを教えてくれました。

デザインの出来ない人への外注構築システム
アメブロやSNSを使っての集客方法etc・・・
しかし、それ以上に僕にとって価値が有ったのは彼のマインドセットです。

ビジネスに限らず、人としての物事の本質を学び、最初、小西君だった彼のイメージが小西さんに変わり、小西先生・・・
そして今では、神です(笑)

この出会いは、今でも僕にとって凄く価値のある物です。

これを期に、僕は東京のデザイナーチームとタッグを組みデザイン受注+アメブロ・ブログのコンサルとして
ビジネス活動を始めます。

しかし、当時、アメブロビジネス禁止削除事件などで多くのクライアントがアメブロを削除され、
僕も2度に渡り軌道に乗りかけていたアメブロを削除されコンサル事業はいまいち軌道に乗り切れませんでした。
(他にいろいろ問題はありましたが・・・)

そんなこんなで紆余曲折しているうちに、中学時代から野球で注目されていた
息子が、高校でも注目をされ始め、僕の中である不安がよぎり始めます。

僕のやっているビジネスは店舗事務所もない体制、まして、コンサルとか田舎では聞かない業種です。
そこに、「稼ぎましょう」的な情報を発信してる訳ですから、ネットでこのまま派手に活動すると
息子の将来に響くのではないのか?

それに加え、僕は一度事業に失敗しています。
世間でどんな噂を立てられてるか分かりません。
おまけに、舛本と言う苗字は珍しい名前・・・

そんな様々な不安から、facebook・Twitterの休止、
そして、アメブロ削除後、メインで使っていたwordpressのブログを休止し新しく作り変えることを息子の為に決断します。

それからは、子供優先、自由な時間を重視し、食える程稼いだらい~やと言う感覚で
安価なヘッダー制作とWPの建ち上げ方法を教えながら地味~に生活していました。

今年(平成28年)はサボりすぎて貧乏になりましたが(笑)

しかし、この判断は僕にとっても息子にとっても正解だったのです。

おかげで、この期間に自分のビジネスを見つめ直し、小西さんの言う物事の本質をまだ理解できていなかった
自分に気づいて、それまでの自分の情報発信が、ブレまくりだった事に気付いたのです。

その甲斐あってか、この期間にブレない新ブログの構築と、自己コンテンツ商品を熟成する事に成功しました。
これが、webデザイナーに頼らないDATSUデザ企画と自分の人生を見つめ直し生み出した断捨離WORK企画です。

そして、息子はと言うと、県下で有名な選手になり、この夏、3社の高校野球専門情報雑誌に山口県注目選手として
大きな写真付きで掲載されるまでに成長しました。

しかし、高校入学時と同様に大学でも野球部のオファーが沢山有りましたが
怪我が多いと言う理由で息子は就職を自分の意志で決断しました。

今では、インターネットで、息子の名前をググると沢山情報が上がって来ます。
あの時、ネット活動を自粛して本当に正解だったなぁ~と今では思っております。

親バカですが・・・(笑)

そして、これから目指す自分の夢へ

僕の夢は、子供が独立後、「放浪生活」をすること。

これは、20代の頃からの夢。

30代の頃にガラス工房の廃業で、家もなくなったし息子も県外に出るし
弊害は何もないから迷わずジプシーライフ放浪生活に向かって行けます。

出来れば、冬以外の時期は妻を連れてのんびり下道通って日本のいろんな所の風情を味わいたいと思ってます。

これを実現するために、今までの体制から「労働」の部分を少しづつそぎ落とす行動を初めています。
ホワイトボードでなぶり書きして、マインドマップで整理して、自分が向かう方向のイメージも出来ています。

せっかく、インターネットでビジネスしてるのだから、頭使って、自動化を進めて資産化して
最低限の労働で、自分のライフスタイルを満喫できるビジネスを構築しないとね。

と、ここを強く意識して行動しています。

出発は、2年後(平成30年)・・・自分の52歳の誕生日に出発。
まずは、慣らしに勝手知ったる九州から始めようと思っています。

そして、リアルな商売で失敗して、打ちのめされたおじさんでも諦めなければ、50歳からでも夢を叶えて
人生挽回できるんだぞって事を証明したい!!と思っています。

この願望を実現する事で、今までの人生の失敗も、
自分の中でやっと経験と位置づける事が出来るんだろうなと思います。

これからの人生は、全ては妻の為に、今まで付いて来てくれた妻が行きたい所、沢山、行こうと思います。

さぁ~旅の準備をするぞ!!

2年後、ジプシーライフ・・・放浪生活をする為に・・・

 

と言う僕ですが・・・

僕があなたに何を提供できるのか?

それは、たぐいまれなる波乱万丈な人生経験と

これまで、インターネットビジネスを自粛してきた約2年間
実行せずに知識だけを詰め込む為に200万円近く出して購入した情報商材
そのスキルをこれから、全力投球して稼ぎながら道筋を立てていくそのスキル

当然、必要なサイト構築から集金回収システムから
ネットを資産化する為に必要なスキル全てが含まれています。

そして、何より・・・

僕自身、小西玲太朗さんのCBAで飯を食い、2年間自粛しながらも、
その間もインターネットビジネスで必要な分だけ稼いで、飯を食い続けたノウハウが有ります。

と言う人間ですが・・・

もっと、僕の事を知りたかったら、
僕のfacebookページにも遊びに来てくださいね♪

僕の過去話では当時の画像も公開してますし、今の考えやビジネスに大事なマインド等、毎日公開しています。

https://www.facebook.com/akira.echorise/

 

EchoRise代表  AKIRA MASUMOTO